やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 10巻 感想 「主人公と対立するもう一人の主人公」
アニメ2期は原作と同時に終わらせるつもりなのだろうか。
今回は葉山を中心として話が進んだ。葉山が感じていたものは、周りの人間に理解されないという孤独だった。だから、孤独だといいながら、周りに雪乃や結衣がいる八幡に対してずっと嫉妬、羨望していたのだと思う。
そのことに気づいた八幡は最終的に嫌いだと告げ、対立することで葉山の孤独感を解消する。葉山のことを深層で理解できているのは八幡だけなのかもしれない。しかし、その関係に薄々と海老名は気づいているからこそ、腐女子な妄想をするのか? いずれにせよ、今回、もう一人の主人公としての葉山を強く感じられた。
そして、今巻は三浦優美子の物語でもある。高校三年生時の文理選択において、どうしても葉山と同じ選択をしたいと奉仕部に相談を持ち掛ける。大人がそのようなことを一笑に付すことはできるだろう。しかし、高校生である三浦優美子にとってはその後の人生よりも現在の方が重要なのだ。その生き方を否定してはいけないのだと感じた。
この作品はところどころに人間失格へのリスペクトを感じる。はまちのキャラに共感できるという人は非常に多い。(そんなに人生に苦労しているのか、とも思ってしまうが、それは人それぞれなのだろう。)このことは人間失格を含む太宰作品に通ずる。人間失格は誰にでも共感できるからこそここまで有名になった。作中に出てくる手記は誰のとしても読めるようになっている。
人間失格は王道の解釈をしているのに対して、走れメロスは邪道な解釈をしているところが面白い。太宰の性格やその他を鑑みると、走れメロスの方が本来太宰が伝えたかったことだろうが、それを逆に解釈することで、より主人公たちのひねくれ方が出ていて見事だ。